「見えなくても王手」佐川光晴氏
「見えなくても王手」佐川光晴氏
物語の舞台は「島根県立しまね盲学校」。新年度、新しく赴任した小倉先生が「将棋を知っていますか?」と生徒全員に向かって問いかける。小学4年生の主人公・及川正彦はその言葉を聞いて胸が苦しくなる。将棋の存在は知っていたが、目の見えない自分には縁がないのかもしれないと思っていたからだ。
「視覚特別支援学校では、音楽やブラインドスポーツなどのクラブ活動も積極的に取り入れられるようになっていますが、私がぜひ導入して欲しいと思っているのは“将棋”です。実は、視覚障害の人のための全国大会は45回を数える歴史のある人気競技なんです。参加者は障害を持つ前に将棋のルールを知っていた人がほとんどですが、今作ではゼロから挑戦する主人公にしました」
本書は、未熟児網膜症のため生まれつき全盲である正彦が将棋にのめり込んでゆく物語。だが、「一握りの天才が活躍する物語にはしたくなかった」と著者が語るように、物語のゴールは翌年に控える校内戦まで。短期間でメキメキと成長する正彦の姿と同時に、その勉強法も濃密に描かれており、興味深い。
「視覚障害がある人のために、びょうで点字を打った駒など特製の道具があるんですよ。ただ、それだけでは初学者はまだ将棋は指せませんよね。物語では、駒を触って覚えるためのクイズや、詰め将棋の発展系『3枚の合駒』など、独自のカリキュラムを小倉先生に考案させました。正彦は1週間考え抜いて15手詰めを解きますが、私は考案者ながら正解がわからず……。アマ有段者の息子に解いてもらいました(笑)」
ともに将棋を学ぶ生徒たちも魅力的だ。ミステリアスな雲井さんは「中飛車」、容赦のない板倉さんは「急戦調」など、個性に合った棋風を持つ。
「主人公は正彦ですが、彼の成長を見守る家族たちも描いています。私の妻は特別支援学級で働いていたんですが、彼女の経験上、障害者をきょうだいに持つ子どもは、私たちが思っている以上に繊細な悩みを抱えていることが多いんだそうです。正彦の姉は、『NHK将棋トーナメント』を録画するなど正彦を応援していますが、とある事情で悩みを深めてしまいます。実はきょうだいに関わる悩みは避けては通れないテーマ。障害のある子どもを持つご家族に本当に読んで欲しくて、姉にも物語を担ってもらいました」
ほかにも、羽生善治著「羽生の頭脳3 最強矢倉」など実在するテキストも多数登場。小倉先生はそれらを大量に音声化してUSBとして配布するなど、本当に実践できそうな勉強法が並ぶ。それらでの修業を経て挑む校内戦の白熱した様子は、まさに真剣勝負の世界だ。
「ほかのスポーツでは体力やチーム力の差が如実にあらわれますが、将棋は最初の陣形は必ず五分と五分。頭のなかに盤面が描けるようになれば、目の見える人とも対等に勝負ができます。実際に、江戸時代には盲人の石田検校という名棋士がいて、“石田流”という戦法を編み出しました。現代のプロ棋士もその発展形を引き継ぐほど優秀な戦型です。盤を挟めば平等。だからこそ、負けたときには自分の思考力・判断力に全責任があります。それはとてつもなく悔しい体験ですが、障害の有無にかかわらず、成長期の子どもにとって必要不可欠だと思うんです」
(実業之日本社 1980円)
∇佐川光晴(さがわ・みつはる) 1965年東京都生まれ、茅ケ崎育ち。北海道大学法学部卒業。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞、02年「縮んだ愛」で第24回野間文芸新人賞、11年「おれのおばさん」で第26回坪田譲治文学賞、19年「駒音高く」で第31回将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞受賞。このほかの著作に「猫にならって」「あけくれの少女」などがある。