「冬と瓦礫」砂原浩太朗氏
「冬と瓦礫」砂原浩太朗著
1995年1月17日火曜日の早朝。神戸に住む友人からの電話で起こされた圭介は、故郷神戸が大震災に見舞われたことを知る。圭介は高校までを神戸で過ごし、東京で働いている25歳。神戸には母と祖父母がいる。焦って電話をかけるがつながらない。いま自分にできることはあるのか。本作は、阪神・淡路大震災発生当日から7日目までの圭介の体験を描いた長編小説。
「この作品の大筋は僕の体験に基づいています。あまりに事が大き過ぎて、何をすればいいのか、まったくイメージできませんでした。その日は普通に出社して、先輩(作中では後輩)と一緒にお昼に行ったとき、『で、行くの? 神戸』と何げなく聞かれて。そうか、行くという選択肢があったのかと、初めて思い至りました」
震災発生から3日目。圭介は1週間の休暇をとって神戸に向かう。山ほどの食料と水2リットル入りのペットボトル2ケース分を詰め込んだ巨大なバックパックが肩に食い込む。動いている交通機関を乗り継いでも、実家までの最後の15キロは歩くしかない。圭介は、非現実的な破壊のありさまを目にしながら、驚き悲しむ余裕もなく、一歩また一歩と歩みを進めていく。
実は、この作品の原型となった小説は、阪神・淡路大震災の15年後に書かれた。
「5年、10年ではまだ生々し過ぎて、書けませんでした。でも、当事者になりきれなかったという思いはずっと残っていたんです。被災地の出身で、家族や友人はそこにいるけれども、自分はそのときそこにいなかった。家族や家を失ったわけでもない。こういう半当事者とでもいうべき立場の人はたくさんいたはずですが、報道やニュースではまず取り上げられません。半当事者の微妙な喪失感や後ろめたさは小説でしか表せないのではないか。だったら自分が書いておかなくては、と思ったんです」
執筆時は作家デビュー前で、この小説をある文学賞に応募したが入賞には至らなかった。それから15年、あの震災が歴史になりかけている30年の節目に、眠っていた作品をほとんど原型のまま世に出した。
主人公の圭介は傷ついた故郷で立ちすくむ。無残に倒壊した建物、液状化した公園、暗闇が満ちる路地。自分を育んだ街はもうない。圭介が五感で受け止めた被災のリアルを、読者も追体験する。
震災発生から6日目。翌日東京に戻る予定の圭介は、この街で生きるしかない友人が放った一言にたじろぐ。自分は当事者ではないのだ……。
「当事者ではないけれど、故郷への思いがあって、傍観者ではいられない。だから圭介は歩いてでも故郷に近づきたかったんだと思います。この作品を書いた後、東日本大震災や能登半島地震がありました。表には出てきませんが、僕と同じように当事者性に悩んでいる人はきっといるはずです。つらさや苦しさをのみ込んでしまっている人たちに、この作品が届くことを願っています」
当事者になりきれない主人公の視線が、被災の中心にいる当事者からは見えにくい実相を繊細にすくい取っている。地震大国に住む私たちにとって、他人事ではない。長く読み継がれてほしい希少な震災文学。
(集英社 1870円)
▽砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)1969年生まれ。兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。2021年「高瀬庄左衛門御留書」で野村胡堂文学賞、舟橋聖一文学賞、本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。22年「黛家の兄弟」で山本周五郎賞を受賞。ほかに「いのちがけ 加賀百万石の礎」「霜月記」などの著書がある。「冬と瓦礫」は初の現代小説。