新藤兼人・乙羽信子 出会って27年目のゴールイン
すでに新藤には46年に結婚した2番目の妻・美代がいた。積極的だったのは乙羽の方である。後に乙羽は「男性を好きになったのは初めてで、気持ちを抑えきれなかった」と語っている。
72年、新藤は美代と離婚したが、すぐには再婚しなかった。「女房と離婚して2人が愛の闘いに勝ったという思いをするのがイヤだった」と新藤が語れば、乙羽も「奥さんと別れたからと、すぐに私がその座につくのは精神的に耐えられなかった」と心情を吐露した。
結婚を意識するきっかけは新藤と前妻・美代との間に生まれた2人の子どもの言葉だった。すでに成人していた子どもたちは新藤が老後、独りになるのを心配し、乙羽との結婚を勧めたのだ。だが、新藤のプロポーズに乙羽は首を縦に振らなかった。美代に遠慮したのだ。
ただ、その美代が77年8月、脳出血で亡くなり、事態は大きく動く。12月初め、新藤、長男、長女、乙羽の4人が銀座で会食。その場で新藤は入籍を切り出し、やっと乙羽も承諾したのだった。
結婚したからといって2人の生活が大きく変わったわけではない。式も挙げず、それまでと同じように新藤は逗子の自宅、乙羽は渋谷のマンションで暮らした。