高倉健さん 私生活が“神秘のベール”に包まれていたワケ
「私生活がベールに包まれているのは、そもそも日本にいないからです」と話すのは、芸能評論家の肥留間正明氏だ。
「晩年はともかく、健さんは映画の撮影が終了すると1カ月、2カ月といった長期スパンで海外旅行にひとりで出かけてしまう。行き先は決まったエリアや国ではなく、とにかく世界中。母親が学校の先生だったことから中高生の時分から英語力に長けていて、大学卒業後は本当は商社マンになるつもりだったそうです」
■1980年代にはパリで客死説
あまりに長期にわたって日本で姿を見かけないことから、80年代には「パリで客死した」という情報まで流れたことも。そんな健さんの、貴重なプライベートが垣間見られたのは行きつけのレストランや喫茶店だった。
「酒を飲まない健さんはコーヒーが大好きで、青山や五反田の専門店にふらりと顔を出していました。京都の先斗町の洋食屋や六本木のキッチンバー、ハワイにあるベトナム料理屋も行きつけで、そこには“健さんルーム”という専用の個室もあったほど。一見で店に入ることはなく、いずれも長年通ったお店ばかりでした」(古参の芸能ライター)