高倉健さん 私生活が“神秘のベール”に包まれていたワケ
冠婚葬祭の一切に顔を出さないことも徹底していて、映画界のドンと呼ばれた東映・岡田茂氏の葬儀にも参列しなかった。しかし、その裏では「別れた元妻の江利チエミさんの命日には毎年欠かさずお墓参りをしていました。大原麗子さんが亡くなった時も葬儀には参列しませんでしたが、その後、墓前に手を合わせる健さんの姿が目撃されています。お世話になった人の命日には桐箱に入った線香を必ず送っていました」(前出の芸能ライター)
■晩年に親交が深かったのは…
映画の役柄そのまま、実直で義理堅く人間味あふれる姿には業界内外にファンが多く、製作スタッフの中には、健さんと会う前には散髪に行き、“斎戒沐浴”して身を清め、普段は着ないスーツを着て臨む者も多かったという。
「晩年の健さんと親しかったのは都内で何軒も中華料理店を経営するオーナーでした。世田谷の自宅にはほとんど戻らず、このオーナーが所有する麻布十番の建物に住んでいたという話もある。最後をみとった人の中にこのオーナーも含まれているのでは」(前出の肥留間正明氏)
映画界の巨星が消えた。