松井誠を支えた大女優・山田五十鈴との濃密な“親子関係”
母上は2002年にご病気されて、12年7月に亡くなられたけど、その間の10年間は私にとってとても貴重な時間でした。誰にもお会いにならないのに、私には会うと言ってくださった。最初は青梅で療養され、マスコミに嗅ぎつけられてよみうりランド近くの病院に移りました。
私が行くとよく涙を流されて。とにかく舞台に立ちたいと。病院では三味線だけは弾いていました。私はその三味線をいただいて、今でも宝物にしています。
母上にどうしても見てもらいたかったのは、05年の明治座の舞台「男の花道」。体調が悪くてかないませんでしたけど。
亡くなる前年の11年には紀伊国屋ホールで、花柳章太郎さんと母上の恋物語「花顔」を私が1人3役で演じました。舞台には母上からお借りした鏡台を置いて、まさに母上がそこにいるという設定で、“共演”することができました。
亡くなった12年。私は自分の事務所の問題で週刊誌にあれこれ書かれ、しばらくは表に出るのをやめようと思っていた時期でした。ところが、ワイドショーからコメントを求められ、出るしかなくて。よくよく考えれば、母上が「出なさいよ」と言ってくださったのだと思います。
私は大衆演劇出身ですが、母上と出会って明治座、御園座、新歌舞伎座といった大劇場の座長公演もトントン拍子に決まったりしました。節目節目で大きなエネルギーをいただいた、本当に掛け替えのない方です。