女優の鶴田さやか 「鶴田さん」と呼んだ亡き父への感謝を語る
鶴田さんとふたりの時も、今日はやけに家庭のお父さん風だな、カジュアルに話をするなと思い、横顔を見て、すっごい格好いいと思いながら娘っぽくしていると、ふっとした瞬間に顔が変わる。何をもって急にそうなるか分かりませんけど、もうそこに先ほどのお父さんはいない。もうめったなことは申し上げられない。前の話を引きずっていると、すーっと冷たく、置き去りにされたような感覚になる。私ひとり、そこにたたずむというか。
それでも運動会などの行事には来てくれたりしました。父兄参加の競技にも出ちゃうんですよ。白百合学園という私立のお嬢さま学校でしたから、同級生も「鶴田のおじちゃま」と遠巻きに見て、取り立てて騒いだりしないんですけど、マネジャーも付き人も連れてこないから、私は車の「出ハケ」(入退場)から気が気じゃなく、何事もなくお帰りになるまで、ドキドキでしたね。
芸能とは離れて育てられ、作品も見せてもらえなかったし、乗馬ばかりしていたから将来は調教師になろうかと思ったくらいでしたけど、普通の家じゃないことは子ども心にも分かりました。やっぱり常識がずれてましたね。新幹線はグリーン車しかないと思っていましたし。私たちが選んだわけじゃなく、上から目線じゃなく、本当にもうずっと、当たり前のようにそんな感じでしたから。