“天然”瀬川瑛子を「芸域広げる」と盛り立てた恩人の激励
新井先生と初めて出会ったのは日本クラウンのオーディションを受けた1965年。今から51年前のことです。
私の父はNHK紅白歌合戦に2度出場した演歌歌手で、物心ついた頃からマンツーマンで教えてもらいながら育ちました。ですから、父が生みの親にあたるわけですが、「歌心」は学んだものの、きちんとした発声法や楽譜の読み込み方といったプロとしての技術は心もとなかった。それでクラウンのプロデューサーさんが「レッスンの先生に」と、ご紹介してくださったんです。
■レッスンは貧血で倒れそうに
歌唱法には大まかに地声と裏声、ファルセットがあって、音域に合わせてそれらを使い分けるのが一般的ですが、先生は「映子(当初の芸名)ちゃんは体が大きいのだから、声量豊かな歌手にしたい」とおっしゃられて地声だけで歌わされました。
そのレッスンたるや、かすれがちになる高音を出すため、呼気の量を増やさなくてはならず、毎回、頑張りすぎて貧血で倒れそうになるくらいハード。それでもだんだんコツを掴んでくると、そんなに力まなくてもスッと高音が出せるようになりました。それが68歳になった今でも、以前と変わらぬキーで歌える基礎を作ってくれたんです。