【対談】宮嶋茂樹×小原玲 フライデー襲撃事件を振り返る
1984年の写真週刊誌「フライデー」創刊当時、専属カメラマンとして良きライバルだった宮嶋茂樹(55=写真右)と、小原玲(55=同左)。新春特別号に続き、今回は、写真週刊誌が報道から芸能スキャンダル路線へシフトするきっかけとなったビートたけしと軍団11人による「フライデー襲撃事件」を振り返る。
■芸能スキャンダルのあり方を変えた
――86年12月に起こった同事件は、当時、たけしの愛人女性がフライデー記者の取材のもつれからケガを負ったその報復として、同編集部に乱入したというものでした。
宮嶋 車のボンネットに飛び乗ろうがなんだろうが、「決定的瞬間」を撮れさえすれば何でもありの風潮を変えたのは、この事件だった。
小原 これを機に過熱取材への批判や憂慮の声が高まったんだよね。ただ、編集部的に何よりも早く求められたのは勤務体制の変更だった。
宮嶋 そうそう。襲撃された時は校了明けの午前3時で、編集部にカメラマンが誰もいなかった。それこそ「決定的瞬間」を逃したもんだから、カメラマンも夜勤体制になって。当時、俺は独り者だったし、日当欲しさに毎晩のように泊まり番を買って出てたなあ。その後、幸か不幸か襲撃事件は起きなかったけど。