元格闘家 大山峻護さんが振り返るグレイシー一族との死闘
スーツケースに背広とジャージーを入れ、企業向けの研修や個人トレーニングの合間に打ち合わせや商談に奔走する。
「研修の際は、僕の現役時代の話もさせてもらっています。『どういう思いでいると、壁や試練を乗り越えられるか』という話です。そうして、エクササイズをやってもらうと、みなさんの取り組み方が違ってくるんです」
大山さんの「ファイトネス」はSNSを通じて知られるようになり、今や大手企業も顧客に。最近は高校・大学など教育機関でも指導するほか、芸能人や経営者からの個人トレーニングの依頼もこなす多忙な日々だ。
■自分の腕が折られる音を聞きながら……
さて、栃木県那須塩原市出身の大山さんの“原点”は、6歳で始めた柔道だった。
「強くなってヒーローになりたいと思って。強くなるには何かを始めなければと考えたんです」
中学2年で柔道の私塾「講道学舎」(15年に閉塾)の門をたたき、作新学院高から国際武道大に進学。プロデビューまでは実業団の京葉ガスに所属するなど、柔道漬けの青春時代を過ごした。