石川敏男さん<1>中村勘九郎と吉沢京子の交際をデッチ上げ
「入社したのは、1966年。でも、当時はすでに映画は斜陽産業と呼ばれていて、月給は手取りで2万円もありませんでした。一般的な大卒初任給が2万5000円くらいの時ですから平均的な部類とはいえ、柏市の実家から通っていたから何とかなったようなもの。まあ、毎晩のように先輩に飲みに連れて行ってもらって、トリスしか知らなかった僕がオールドにありつけたから、そのへんはうれしかった。ただ、酔っぱらって電車を乗り過ごしてしまうと、そこはもう取手駅……。タクシー代は会社から出ませんでしたから、あれは痛かったなぁ~」
当時、親しくしていたのが、5代目の中村勘九郎(後の18代目勘三郎=2012年死去)だ。
「映画会社の宣伝手法のひとつに、『共演の男女が交際している』とマスコミに流し、注目を集めるやり方があります。71年公開の『幻の殺意』という映画では、共演の勘九郎さんと吉沢京子さんが『いい仲だ』という記事が女性セブンに載った。何を隠そう、記事を書いたのはこの僕です、ハハハ。これがひょうたんから駒で、本当に2人がいい仲になったから驚きましたね」
先日、肺がんで亡くなられた星由里子さんが離婚した時のエピソードもある。
「もう時効ですのでお話ししますが、若尾文子さんがマスコミが大挙して押しかけてきたのを見て、『どうしたの?』と尋ねてきた。僕が『星さんが離婚するんですよ』と答えると、『離婚は残念だけど、私は結婚したら子供だけは欲しいわね』とポツリ。当時、若尾さんは歌舞伎の大物役者と交際していたので、すごく真剣なまなざしでした。そんなことを内輪で話していたら、女性セブンの編集部内で『石川は何でも知っているよな』となり、専属記者に誘われたのです。当時、原稿代だけで10万円……。5年半お世話になった松竹を円満退社することにしました」
=つづく
(取材・文 加藤広栄)
▽いしかわ・としお 1946年11月、東京生まれ。66年、松竹入社。71年に「女性セブン」専属記者。72年、主婦と生活社入社。88年、日本テレビ「おもいッきりテレビ・うわさのうわさ」とリポーター契約。現在は「朝生ワイド す・またん!」(読売テレビ)などに出演中。