石川敏男さん<3>年収2000万円の誘いが…「支度金も出た」
ここで石川さんは、もうひとつ頭をかいた。
「後先考えず、もらったお金を全部使い切っちゃったんです。翌年、税金の督促が来てもすっからかんで一銭も残っていない。何とか税務署に頼み込み、分割払いにしてもらいました。いずれにせよ、当時のテレビ局は制作費が潤沢だったし、元気もあった。番組プロデューサーにしても、今後付き合うことになる芸能人に対して卑屈にならないよう、あえて高い報酬をはずんでいた部分もあった。だから、同じワイドショーのリポーターでも、収入に関しては事件リポーターより上だったものです」
当時はバブル景気。こんなエピソードもある。
「1990年に勝新太郎さんがハワイの空港でパンツの中に何かが入っていて捕まりましたよね。しばらく勝さんはハワイで隠遁生活を送っていましたが、彼とは大映時代からの知り合いだし、インタビューを撮りにハワイに10回くらい足を運んだ。行くっていったって飛行機は往復80万円のビジネスクラス。局から150万円くらい仮払いをもらって、金曜の夜に日本をたって月曜に戻ってくる。半分遊びみたいなもので、勝さんに会えない時は『ここは勝さんがプレーしたゴルフ場です』とかリポートしてお茶を濁していた。梨元さんもあの頃、ダイアナ妃の取材と称してロンドンへよく行ってました」