「女が愛して憎むとき」若尾文子と田村二郎にみる男女の業
美人ママは高根の花。われわれサラリーマンも銀座のママを見ると「どんなセックスをしてるのか」「あの肉体を何人の男が通りすぎたのか」と妄想をたくましくしてしまう。だから敏子は慎重を期して尾関をアパートに呼ばず、自ら東京に出向く。こうした水商売の裏側が興味深い。
敏子は尾関を敬慕して金銭援助も結婚も求めない。そこに漂うのは「依存関係」だ。女が一人で店を経営するのは心細く、心のよりどころが欲しい。頭の切れる尾関は頼もしい存在だ。だから経理の相談に乗ってもらう。
だが尾関は切羽詰まって敏子のカネに手をつけ、苦し紛れの言い訳で不用意な一言を吐いてしまう。2人の間に亀裂が生じ、敏子は一人で生きる道を選ぶが、本当にこれで終わりだろうか。誰かに頼りたがるのが女の弱さであるなら、いずれまた尾関を求めるだろう。ラストで見せる敏子の晴れやかな表情は「別れられない女」を予感させるのだ。
(森田健司)