笑福亭松喬さんが落語家を決意した「初天神」の魅力語る
師匠をストーカーして弟子入り
でも、大学に進んでも落語熱は全然冷めず、落研で老人ホームに慰問行ったりしながら、大阪・京橋や梅田の落語会に週2回通っていました。単純計算で1回5席として、1年で500席。すごい就職活動したようなもんです(笑い)。3回生の年末、笑福亭鶴三(後の6代目笑福亭松喬)の「道具屋」を聞いて「この人に弟子入りしよう!」と決めました。
「千里セルシー」という大阪・豊中にあるショッピングセンターでやってた“セルシー寄席”で師匠の「道具屋」を聞いて、すぐに弟子入り志願しようと思ったんですけど、なかなか言い出せない。師匠の後をストーカーのようにつけて行って、師匠が大阪・ミナミの法善寺横丁にあるショットバー「路」に入ったんで、店の前で1時間半ぐらい待ったんです。実は店の中では「表に変な子が立ってるで」って噂になってたらしいです。閉店間際、店のママさんが看板しまうのに出てきたとき、「鶴三さん、いてはりますか」って声をかけたら店に入れてくれて、ようやく弟子入りをお願いできたんです。
大学卒業後、3年通い、年季明け(独り立ち)までにネタ10本を口移しで教えていただき、年季明け後、「初天神」を教えてもらったときに、プロの世界の厳しさを痛感しましたね。
「次、おまえの好きなネタを稽古したるわ」と言われたので、「初天神」に飛びついたんです。ところが、「おまえな、教えてもらう気なら、オレが話したテープ聞いて一言一句覚えてこいよ。それぐらいの気やないと、この世界、やっていかれへんぞ」と。それで必死で、1週間で覚えましたね。
でも、その「初天神」も最初5年ぐらいウケなかった。なんでかな、と思ってたら、結婚して男の子ができて、子供の手を引いておとっつぁんの気持ちになってから、ウケるようになったんですよね。不思議なもんです。
13年前、第1回繁昌亭大賞をいただきましたが、繁昌亭は大阪天満宮に立っています。「初天神」に出てくるのも天満宮ですからね。「初天神」で人生変わって、プロの厳しさを教わって、賞をもらったわけです。まさに私の人生のキーワードになってるんですよ。
(聞き手=中野裕子)
▽しょうふくてい・しょきょう 1961年、兵庫県尼崎市生まれ。1983年、笑福亭鶴三(後の6代目笑福亭松喬)に入門。88年、ABC漫才落語新人コンクール最優秀新人賞受賞。2005年、文化庁芸術祭優秀賞、上方お笑い大賞最優秀技能賞受賞。07年、第1回繁昌亭大賞受賞。17年、7代目笑福亭松喬を襲名した。