常連の坂本龍一さんは音大女子学生のリポート代筆で大人気
そこに突然、現れたのが「日本語でロックを表現して何が悪い」と開き直ったグループ<はっぴいえんど>である。1972年に解散したが、刺激された日本語ロッカーが続々と現れ始めた。
千歳烏山の小さな音楽スナックに集った若者たちは毎晩、酒を飲みながら口角泡を飛ばして議論を戦わせた。いつも店に置いた「落書き帳」が議論の発火点だった。
これはNHKの朝ドラの主題にもなった。
■ギャラは水割り1杯
常連メンバーは多士済々。店の近所に音大や芝居の稽古場があり、東京芸大大学院に通っていた坂本龍一さんは、音大の女子大生のリポートを1杯の水割りと交換にスラスラと書き上げて人気があった。平凡パンチなどで署名原稿を書いていた生江有二さんのレポは圧巻だった。彼が落書き帳に書き記したレポを読みに来るお客さんもたくさんいた。<最後の全共闘>と言われた明大の二木啓孝さんの姿も、毎夜のように見られた。
あの時代、ロックが聴けるのは、日比谷の野音で開催されるフェスティバルぐらいのもの。どうしても、表現者たちのロックやフォークの生演奏が聴きたくなった。でも東京にもライブハウスなんて一軒もなかった。
「よし! 2軒目の店はライブができる店をつくろう」。私は決意した。