遺族を取材…芸能記者も駆り出された日本航空123便墜落事故
週刊誌の本当の出番は事故後の遺族の取材だ。膨大な数の取材先をリストアップし、取材先を振り分けられる。都内から近県、さらに関西在住者が大半だったなか、神奈川県内の一部の遺族を回った。
「今は何もお話しすることはできません」と断られるのが大半。事故から1週間以上経っていたころだった。ようやく取材に答えてくれた家族がいた。藤沢に住むKさんが家のなかで答えてくれた。
亡くなったご主人は50代。1年ほど前から大阪に単身赴任していた。家には夫人と2人の娘さんがいた。父親は夏休みを家で過ごし、大阪に戻るため123便に乗り事故に遭った。
「家にいると“メシ・風呂・寝る”ぐらいしか言わない典型的な昭和の父親でした。やっかいなお父さんがいないのもいいわね」と妻は娘2人とのびのびと暮らしていた。
静かに話しながらも時折、笑みもこぼれていた。取材を忘れ聞き入ることもあったが、シンプルに「どんなお父さんでしたか」と質問した。高校生の妹は「怖いけど優しい父でした」と言うと、姉が引き継ぐように言った言葉が胸に刺さった。