「シモキタ・ロフト」がなかったら今のサザンはなかった
ロックに青春を捧げた男の生きざまは、何十年経っても変わらない。
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大森「今から10年くらい前、いろんなことがあった時に悠さんが『トークライブ、やらないか?』って声をかけてくれた」
平野「ター坊が音楽を続けていると聞いて『素晴らしい』と思った。トークライブの話は流れたけど、フェイスブックもつながったし、一度ター坊のバンドを聴いてみたくなった。それで(系列の)下北沢シェルターでライブをやらない? ってメールしたんだよね。そもそも、宮崎から東京に出てきたのは18歳の時?」
大森「そう。青学入学をきっかけにね」
平野「それは口実? バンドをやりたくて東京に出てきたんでしょ?」
大森「そうそう。で、ライブハウスでバイトするのが一番だと思った。レコード会社やプロミュージシャンとのコネもつくれるし、ライブもタダで見られる。青学のひとつ上の先輩がシモキタ・ロフトで働いていて、店長の(佐藤)弘さんを紹介してくれたんだよ。それで1976年から働きだした。歩いて帰れる池ノ上駅(下北沢駅のひとつ渋谷駅寄り)にアパートを借りてさ。当時の悠さんは怖かったよぉ~」