いま高座にかけてる噺は古今亭志ん朝師匠の持ちネタが多い
一朝は真打ち昇進後、国立演芸場の花形新人大賞を受賞するなど、業界での評価が高まってきた。受賞の報告など、何かあるごとに柳朝の家を訪ねた。柳朝は車椅子を自分で動かし、五十音のボードを指さして見舞客とやりとりができるようになっていた。
「あたしが行くと、ボードを指さして、『寿司でも食ってけ』と示す。出前が届くと寿司桶を見て、『穴子が入ってない。江戸前じゃねえ』と(笑い)。病人になっても師匠は以前のままで、それがうれしかったですね」
病床に伏して9年ほどたった91年2月7日、柳朝はあの世に旅立った。
「その日は学校寄席の仕事に出かけようとしたところに師匠の訃報が届いたんです。とりあえず仕事先に行って早上がりさせてもらい、練馬区光が丘の師匠宅へ駆けつけました。その晩、先代円楽師匠が弔問に訪れました」
私は通夜に参列したが、葬式嫌いの談志が、「戦友に別れを告げにきた」と、紋付き袴の正装で参列したのが印象に残っている。志ん朝は、終始泣いたり笑ったりの躁鬱状態だったとか。柳朝と共に「四天王」といわれた3人の、それぞれの葬送である。 =つづく