弾き語りのハマショーに関心寄せる音楽関係者はいなかった
1979年3月、「新宿ロフト」のブッキングを見ると最終日の31日、こう書いてある。「村下孝蔵(from広島)/浜田省吾」。53年2月28日生まれの村下さん。52年12月29日生まれのハマショー(68)。同学年の2人には、大御所の吉田拓郎さん(74)たちが立ち上げた「広島フォーク村」で活動していた、売れなくてライブで客が集まらない――という共通項があった。早世した村下さん(99年に46歳で死去)がメジャーになるのは83年に「初恋」をリリースしてから。ハマショーは76年にソロに転向する前は「愛奴」というバンドの一員として活動していた。
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広島フォーク村の仲間たちと73年に結成した「愛奴」でハマショーはドラムを叩いていた。
当時、ドラム歴は1年にも満たなかったようだが、74年には拓郎の全国ツアーのバックバンドを務め、同年夏発売のシングル「シンシア」のB面「竜飛崎」は「愛奴が演奏した」と拓郎自身がラジオなどで語っていた。75年5月に愛奴はアルバム「愛奴」とシングル「二人の夏」でレコードデビューした。彼らは73年にオープンした「荻窪ロフト」、74年オープンの「西荻窪ロフト」のステージに立ってくれた。