弾き語りのハマショーに関心寄せる音楽関係者はいなかった
なかなか良いバンドだと思っていた。でも、レコードデビューした年の9月、ハマショーは愛奴を脱退。とてもビックリしたことを覚えている。76年になるとハマショーは、アコースティックギターを抱えてひとりで弾き語りを始めた。ロフトのステージのソデで彼のパフォーマンスを何度も見たが……正直に言って音楽関係者の大半は、ハマショーに関心を寄せていなかった。集客も期待できないので「対バン」(同ステージに複数の出演者が入れ替わる形で共演)のスタイルを取ることもあったが、カップリングに試行錯誤することが多く、基本的にロフトでのハマショーは<ピンで弾き語り>で活動することになった。
76年4月にアルバム「生まれたところを遠く離れて」、シングル「路地裏の少年」でソロデビュー。79年7月、日清カップヌードルのCM曲として出したシングル「風を感じて」がチャート上位に食い込んだ。
82年に日本武道館でライブを敢行。88年には静岡・浜名湖の野外ライブに5万人超のファンを動員した。余談だが――。
76年12月10日、下北沢ロフトで「愛奴」がラストライブを行った。解散した愛奴のメンバーたちが、下北沢の路上で真夜中に大立ち回りをやらかした。
どんなフラストレーションを抱えていたのだろうか? 謎である。