新東宝のエースだった宇津井健が「大映移籍」の時に出した条件
戦後の東宝争議の副産物として産み落とされた新東宝は、1961年5月に不渡りを出し、同年8月に倒産。負債総額は7億8000万円、現在の価値にすると30億円近い額となる。同時に、新東宝の経営陣は倉庫に眠っていた330本の旧作をTBSと日本テレビに1億4000万円で売り払っている。しかし、その情報をいち早く掴んだ労組が、その代金を押さえ、未払い金および退職金として社員および外注スタッフに支払った。その過程において、いくつかの作品が紛失した可能性もあるというから、白羽の出演作も含まれていた可能性は否めない。
ともかく、新東宝が倒産したことで、社員のみならず専属俳優も身の振り方に苦心する。「新東宝女優三羽烏」のひとりとして純愛モノからお色気まで幅広く活躍した久保菜穂子は、会社が傾きかけた1959年にあっさり東映に移籍。1963年には、当時はまだ珍しかった映画会社に所属しないフリーの女優として、時代劇から現代劇までこなすマルチプレーヤーとなった。同じく「三羽烏」のひとりである三ツ矢歌子も、倒産前に見切りをつけ映画監督の小野田嘉幹と結婚し寿退社。その後フリーの女優として活躍した。