キューティー鈴木さんは52歳の“受験生ママ” 長男の高校受験を控え奮闘中
キューティー鈴木さん(52歳/元女子プロレスラー)
女子プロレス界で最多の14冊のグラビア写真集を出版した“元祖アイドルレスラー”キューティー鈴木さん。ビューティ・ペアのジャッキー佐藤が旗揚げした女子プロ団体・ジャパン女子プロレスの1期生として16歳で女子プロに入門。現在は「長男が無事高校に合格することが何より」という受験生ママだという。
リングネームの名付け親は、AKB48のプロデューサー秋元康氏。身長155センチの鈴木と160センチのプラム麻里子(享年29)の小柄なベビーフェースコンビ「ファイティング・ドールズ」はアイドル的な人気を獲得。鈴木は、かわいすぎる女子プロレスラーとしてダントツの人気を誇り、芸能活動にひっぱりだこだった。
「19歳からの1年半ぐらいで休めたのは元日だけでしたね。毎朝言われた時間に集合場所に行って、深夜まで働いていた。覚えているのは、いつも『今日は何時に終わりますか?』って聞いてたこと。テレビのお仕事は所属するプロレス団体の宣伝のためと思っていましたね」
当時はバブル全盛期。相当稼いだのでは?
「いえいえ、20代のOL程度で貯金もできなかったです。仕事に行くにも電車なので、テレビの収録とかで早朝に現場集合できないので、慌てて亀戸から目黒に引っ越したこともありました。スタイリストさんもついていなくて衣装は全部自前。衣装代が足りなくて前借りして、翌月のお給料がゼロどころかマイナスなんて月もありました。それなのに当時所属していた団体の人から『それ前に着てたよね?』なんて言われることもあって、そんなお給料もらってないの知ってるのに! って思ってました(笑い)」
ズボラ経営のジャパン女子は1991年に崩壊。翌92年に旗揚げされたJWPに同期の尾崎魔弓(53)、ダイナマイト関西(52)、プラム麻里子と共に移籍。ルックス先行型だったジャパン女子時代と打って変わり、人気に実力も兼ね備えた真のプロフェッショナルファイターに変貌。ブル中野との対戦は今でもファンの印象にひときわ強く残っている試合のひとつだ。
「リングに立っただけで『うわっ、怖いな』って思いました。ラリアートは今まで受けたことがない衝撃で、重くて、顔面に入ったような感覚でした。何をやってもビクつかないんだろうなと思っていたので、ほんとにガムシャラに向かっていきましたね」
「プロレスって生で見るとほんとに面白いんです」
98年にリングを引退。2005年に飲食店や格闘技ジムを経営していた夫と結婚して、06年に長男、11年に次男を出産。
「長男が幼稚園児のとき、YouTubeを見ていたら偶然、私の試合にたどり着いたらしくて『ママ弱いからやられちゃう』って泣いてました。今はもう私のことなんて関心ないですけど(笑い)」
長男は高校受験を控えた受験生、元プロレスラーのママは厳しいのか?
「長男は『ママは優しいよ』って言ってくれますが、息子の同級生は私のことをネットで見ているのか『その笑顔が怖い』って言ってました(笑い)。子供たちには好きなことをやらせていて、2人ともサッカーをやっています。今どきの子なのでたまに子供たちを見ていると、そんな文句言ってるより、練習しろって思っちゃうときはありますね(笑い)。それより初めての受験で、ネットで学校説明会の予約をしなきゃいけないし、受験の申込書類が複雑で私も苦戦していますね。長男は食べることが好きなので、ごはんだけはしっかり作ってあげています」
現在はテレビ番組やイベント出演、女子格闘技興行のゼネラルマネジャーなどオファーがあれば受けている。
主婦になっても女子プロ愛は変わらない。
「プロレスって生で見るとほんとに面白いから、足を運んでもらいたいですね。今はBSとかネット系でプロレスチャンネルはありますが、また地上波で見られるときが来たらいいのになぁって思います」
アラフィフになってもキュートさは健在だ。
(取材・文=伊藤雅奈子)