杏子がソロデビュー30周年を語る「BARBEE BOYS解散後はOLに戻るつもりでした…」
所属事務所の屋台骨を支え続けた功労者
オーガスタの創業期、杏子は屋台骨を担った。
「社長やスタッフと4人でクルマに箱詰めになって横浜へ、新人バンドをスカウトに行ったこともあります。事務所が経済的に厳しかったとき、レース後の競馬場で歌ったこともあります。あれは破格のギャラでした」
オーガスタは山崎まさよし、元ちとせ、スキマスイッチ、秦基博……と、次々と新しい才能を発掘しデビューさせていった。
「事務所を立ち上げた年の忘年会にはヤマ(山崎まさよし)がいました。当時は無口で、ちょこんと座っていました。18歳のちとせが来たときは衝撃でした。ショートヘアで目をくりくりさせて三線を弾き奄美のシマ唄を歌ってくれたんですよ。私は歌詞も理解できないのに、涙があふれた」
なぜ新しい才能が次々と生まれたのか──。
「うちのスタッフは感度が高いと思います。そして、結束力が強い」
ある日、山崎が杏子が歌詞を書いた「星のかけらを探しに行こう Again」をギターで爪弾いて言った。
「これ、ええ歌やん。一緒にやろうや」
それをきっかけにユニット、福耳がスタート。
「一度別れた恋人が再会して結ばれる、私にしてみればあり得ない歌ですが、ヤマのアイデアでたくさんの人に聴いていただけました」
ポップ路線を経由して、今、杏子はまたロック色を濃くしている。
「エアロスミスがRUN-D.M.C.と共演した2020年のグラミー賞授賞式を見て、スコットランドでローリング・ストーンズのショーを見て、ロック熱が高まりました。9月25日には横浜でオーガスタのアーティスト全員参加のAugusta Camp2022を久しぶりに有観客で開催します。ヤマたちと共演しつつ、ロックも歌います。楽しみにしてください」
(取材・文=神舘和典)
▽杏子(きょうこ) 1984年、「暗闇でDANCE」で「BARBEE BOYS」としてデビュー。J-ROCKの一時代を築いたが、92年に、「BARBEE BOYS」の活動にピリオドを打ち、同年ソロ活動開始。同時にラジオパーソナリティーやテレビドラマ出演など幅広く活躍。今年は、ソロデビュー30周年。現在、30周年記念限定シングル「30minutes」が好評配信中。