キャンディーズの軌跡(後編)伊藤蘭と田中好子 女優として芸能界復帰、結婚とその後
田中好子は日本アカデミー賞女優になったものの「結婚」「がん」と闘い続け…
1978年4月、キャンディーズ解散。その後、「普通の女の子に戻りたい」の言葉通りに生きたのはミキちゃんだけで、スーちゃんとランちゃんの2人はそれぞれ本格的に芸能界にカムバックする。80年、ほぼ同時期だった。
スーちゃんこと田中好子に復帰のきっかけをつくってくれたのは弟・一夫だった。一夫は骨肉腫のため19歳の若さで80年に帰らぬ人になる。亡くなる前に姉にはこう呼びかけたという。
「僕はテレビに出ている姉貴が一番好きだな」
弟の言葉を心に受け止めた田中は80年のドラマ「虹子の冒険」(テレビ朝日系)に出演する。このドラマでは女優人生、私生活を左右することになる夏目雅子と出会った。
女優として大きな礎になったのは89年、今村昌平監督の「黒い雨」で主演したことだった。日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をはじめ数々の映画賞を受賞、女優・田中好子が誕生した。アイドルとして頂点に立ち、女優としても頂点を極めた瞬間だった。
そんな田中が公私ともに親しくしていたのが夏目だった。夏目は田中より1歳下ながら姉御肌。意気投合した2人は姉と妹のように打ち解けた。夏目は父をがんで亡くしている。弟をがんで亡くした田中とお互い深く理解し合うことができたのだろう。ところが、作家の伊集院静と結婚した夏目も85年に急性白血病で27歳の若さでこの世を去る。
田中はお見舞いなどで夏目の小達家に出入りすることも多かった。そこで知り合うことになるのが91年、朝ドラ「君の名は」撮影中に結婚する夏目の兄の一雄だ。名前が弟と同じ「かずお」。夏目との出会いはつくづく縁があったというしかない。
田中は一雄を「お兄ちゃん」と呼んで慕い、夏目は生前「好子ちゃんにはウチのお兄ちゃまがいいんじゃない?」と冗談交じりに語っていたという。
もっとも、一雄は海外生活などが長く、当初はキャンディーズのスーちゃんという認識はなかったようだ。一雄はその時、再婚していて田中とは不倫の末のいわゆる略奪婚だった。
■一人待つ好子の部屋に貼られた「結婚誓約書」
田中好子が亡くなったのはそれから20年後の2011年4月。その半年後に「今明かされる女優田中好子物語」を日刊ゲンダイで連載したのだが、その中で結婚するまでのことをこんなふうに書いた。
〈「わざわざ妻子ある男と付き合わなくても」
そう忠告してくれる知人もいたが、もう他の男は目に入らなかった。
一雄の離婚はなかなか成立せず、それどころか時折、妻子が待つ実家に戻るという二重生活が3年近く続いた。ひとり、部屋で待つ寂しさに耐え切れず、一雄の自宅に電話を入れ、応対した本妻と気まずい会話を交わしたこともある。
「当時、田中の部屋の壁には一雄が書いた『結婚誓約書』が貼られていました」(知人)〉
願いが通じて、晴れて夫婦に……。田中に幸福の時がやってきた。しかし、それも束の間、翌92年、今度は人間ドックで田中に乳がんが見つかる。弟と夏目に続いて自らも。まさに運命のいたずらである。
田中は手術後は定期検診を受け続けた。
実はがんは何度も再発し、放射線治療、抗がん剤治療も受けたという。それでも女優業では「家なき子」「大地の子」などの話題作に出演、2001年には朝ドラ「ちゅらさん」にも出演している。体調が思わしくない中でも女優として活躍し続けた。
そんな田中にとって、さらなる不運が見舞うのはそれから10年後である。