ジャニーズ事務所のジュリー社長が日経新聞に広告…ナベプロ帝国の衰退を思い出した
ノンフィクションライターの軍司貞則は、「ナベプロ帝国の興亡」(文春文庫)の中で、ナベプロは政財界の大物に取り入り、マスコミ関係者には酒と麻雀などの接待漬け。ときには特ダネを与えて懐柔し、テレビ局にはさまざまな名目で利益供与して支配していたと書いた。
だが、一部のタレントを優遇するやり方に反発して、次々に大物が退所していった。人気グループだった「クール・ファイブ」のリーダー内山田洋が「微笑」(1987年3月28日号)で、ナベプロを飛び出た後のことをこう語っている。
「当時は、テレビもラジオも含めてマスコミがいってみれば、渡辺ファミリーみたいなものでしたからね。別に社長があれこれいわなくても、周囲の人たちが皆、自主的に遠慮しちゃって、クールファイブを使ってくれないわけです。(中略)作曲家だって曲を作ってくれないわけですよ」
だが、タレントたちがいなくなった帝国はあっという間に衰退していった。「どうするジュリー!」 (文中敬称略)
(「週刊現代」「フライデー」元編集長・元木昌彦)