坂本龍一さんの死を中森明夫氏が悼む「25歳での小説『坂本龍一になりたい』を喜んでくれた」
アイドル評論家・中森明夫氏「毎週のように会っていた」
「80年代には一緒にラジオをやって毎週のように会っていました」と話すのは作家でアイドル評論家の中森明夫氏だ。
「僕は世間的には『新人類の旗手』と呼ばれ、25歳のときに発表した『東京トンガリキッズ』の中で『坂本龍一になりたい』という小説を書いたんです。すると本人が喜んでくれたことを思い出します。映画『ラストエンペラー』でアカデミー賞作曲賞を日本人で初めて受賞したときはオスカー像を触らせてくれたこともありました。とにかくこの頃は『月刊カドカワ』で坂本さんがページを持っていたから毎週のように編集会議でも会ってたしね。とにかく思い出が尽きません」
最後に会ったのは批評家・浅田彰氏(66)の還暦パーティーの席だったという。
「もうこの頃はがんを患っていました。“中森くん、まだ生きてる?”なんて言うから僕も“長生きしてくださいよ”って返しました。坂本さんは僕にとっては青春のモニュメントであり、出会えたこと自体が宝物。出会ったなかで最も偉大で才能ある人が坂本さんです。覚悟はしてましたけど本当に寂しい」
■インスタには朽ち果てたピアノの画像
坂本さんのインスタグラムには灰色のバックに生年月日と没年月日である「January 17 1952-March 28 2023」の文字と、朽ち果てたピアノの画像が浮かび上がる動画が投稿されている。