CM「寛容ラップ」呂布カルマ「ヒップホップは免罪符になってしまう。だから言い訳にしない」
ラップは誰でもできる。個性をどう出すか
ラッパーの向き不向き、ラップで生きていく覚悟とジレンマとは──呂布さんのラップ哲学について訊いた。
原田 呂布さんはラップ業界の先駆者だったから、真似をするロールモデルがいないですよね。僕も会社に入ったばかりの20代のときには50代、60代の先輩を見て、「ああなりたいな」「こうはなりたくないな」などと思ったものですけど、時代がすごく変わってしまったから、モデルみたいなものがいなくなっている。今の中年層だからこその悩みもあるでしょうし、パイオニアとしての責任みたいなものも感じていますか?
呂布 責任は感じていないですね。放っておいてって感じです(笑)。僕の今年の目標は「ヒップホップを言い訳にしない」。良くも悪くもヒップホップって免罪符になるというか、「それがヒップホップだから」「ラッパーだし」と言い訳にすることがあるんです。それはもうやめようって。
原田 じゃあ、もう二日酔いにもならないように(笑)。
呂布 確かに(笑)。お酒の飲み方はもう体がしんどいので改めないといけないとは思っていますけど。ヒップホップは僕が持っている一要素だって思うようにしたいですね。
原田 この対談を読んでくれる人のなかには若い人もいるかもしれないので、どんな人がラッパーに向いてますか?
呂布 ラップって誰でもできるんですよ。例えば、ラッパーになってヒット曲を出すのが目的でもないし、40歳、50歳になるまでやることが目的でもない。20代の間にほんのちょっとだけしかやっていなかったけれど、天才みたいなヤツもいれば、全然芽が出なくてやめちゃうヤツもいるので、向き不向きは正直ないですね。僕はラップは個性をどう出すかだと思っているので、自分の個性の出し方を心得ているなら誰でもできる。ただ、個性を出すことが目的でもないヤツもいる。憧れたラッパーみたいになりたいと思って始めたヤツもいるので、一概には言えないですね。
原田 呂布さんのようにラッパー一本で食っていくのはやっぱり難しいですよね。
呂布 そうなんです。だからこそ、自分の子どもたちにチョロいとは思われたくはないですね。それがいいか悪いかは別として、大多数の大人は朝から夜まで仕事する生活が普通なので、僕みたいな生活しているのが当たり前だとは思ってほしくないです。
原田 40代半ばの世代から10~15歳上くらいまでは「いい大学に行って、いい企業に勤めたら一生安泰だ」という神話が信じられていましたが、失われた30年で状況が変わってしまいましたからね。
呂布 最近の若い子で「やりたいことがない」っていう子も結構多いじゃないですか。僕からすると「え、なんで?20年も生きてきてやりたいことがないって好き嫌いが多いんじゃないか?」と思っちゃうんですけど。20代の頃の貧乏ってそこまで苦にならないし、普通にバイトでも食えちゃう。僕の場合は、ラップが好きだから続けていただけだったので、それで食えるなんてラッキーでしたけど。
原田 諦めちゃうくらいの好きは好きじゃないってことなのかもしれないですね。
呂布 そうだと思います。日常生活に支障をきたすほどラップのことしか考えていない時期が2~3年ありましたからね。バトルの独特の緊張感、アドレナリンが出まくる感覚は特別です。
原田 では最後に、今後やりたいことを聞かせてください。
呂布 ヒット曲は出したいですね。あと、今年は雑誌の表紙を飾ってみたいですね。「Forbes」の表紙なんていいですよね。……いや、ウソです。どんな雑誌でもいいです。あとは、地元の名古屋であまり責任感なくやれそうな深夜番組もやってみたいなと思っています。
原田 ありがとうございました。
(構成=高田晶子)
▼呂布カルマ(りょふ・かるま) 1983年、兵庫県西宮市生まれ。大阪を経て名古屋に移る。漫画家を目指していた芸大時代にラップと出合う。柄シャツ、オールバックがトレードマークで、「フリースタイルダンジョン」2代目、3代目モンスター。名古屋を拠点に活躍し、ACジャパンの「寛容ラップ」で人気急騰。情報番組のコメンテーターも務める。
▼原田曜平(はらだ・ようへい) 1977年、東京都出身。マーケティングアナリスト。慶大商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーなどを経て、独立。近著に「Z世代」「シン世代マーケティング」「超バズテク図鑑」など。芝浦工業大学教授。