故・名プロデューサー佐藤剛さん 最後のサプライズと、ときに苛烈すぎる人生について
昭和歌謡リバイバルの仕掛け人
面白いのは、剛さん自身は音楽プロダクション社長として重鎮度を高めていくような人生には、まるで興味がなかったこと。「日本にも〈スタンダード〉の概念を」と提唱し、アルバムやライブの制作にとどまらず、2011年には長編ノンフィクション『上を向いて歩こう』を岩波書店から上梓する。デビュー作にして傑作だった。ときに59歳、大型ノンフィクション作家誕生の瞬間である。
同年にはシニアプロデューサーを務めた由紀さおりとピンク・マルティーニ(米国のジャズオーケストラ)の合作アルバム『1969』が世界的成功を収め、昭和歌謡リバイバルの仕掛け人ともなった。
由紀さんの『1969』の次作となる2013年のアルバム『スマイル』をプロデュースしたのがぼくである。その流れは翌年の由紀さんの新趣向コンサート開催に至り、ぼくは音楽監督に就任した。彼女のチームが前任者の剛さんへ寄せた大きな信頼を、運良くそこに居合わせたぼくが譲り受けたのは明らかだった。
コンサートの舞台プロデュースを務めたのは歌舞伎役者・市川猿之助。いま手元にある写真には、コンサートの打ち上げでぼくと一緒にワインを楽しむにこやかな彼が写っている。剛さんを収めた棺の重みがまだ両手に残る火曜、おなじ70代の死に関わる容疑で猿之助さんが逮捕されたニュースを知ったぼくの狼狽を察していただきたい。人生はときに苛烈すぎる。
じつは剛さんとお目にかかったのは数えるほどしかない。でも晩年の彼はぼくの寄稿やラジオをよくチェックしては、まめに温かい言葉をかけてくれた。その言葉たちが今どれだけ自分の励みになっていることか。それをプロデュースと呼ぶことに、ぼくはいささかの躊躇もない。
告別式は偶然にもマイケル・ジャクソンの命日と重なった。剛さん、やっぱり持ってるなあ。その帰り道、以前に剛さんと一度だけNHKラジオで共演したことを思い出した。「上を向いて歩こう」に関する特番だった。帰宅後、見つけだした同録CDを聴いた。
印象深いやりとりもあれば、すっかり忘れていた話もある。温かい気分になった。だが視線がCDケースに記された放送日をとらえた瞬間、ぼくの息は止まった。2013年6月20日。剛さんの命日、そのちょうど10年前ではないか。これもまた何という偶然。名プロデューサーにふさわしい最後のサプライズだった。