【追悼】島崎俊郎さんこそ生粋の芸人 自らの葬儀でも「“アダモ”ちゃんで笑いを取りたい」と
と口をついて出たのだそうだ。それから、語気を強めて「ペイッ!」とやったら、ドーンとウケた。この「ペイッ!」というのは島崎さんの父親が酒を飲む時の口癖で、スタジオでの収録中に追い詰められ、無意識に出てきたのだという。
■高校時代はサッカーでインターハイや国体に
55年、京都府生まれ。高校時代はサッカーで京都府選抜となり、インターハイや国体に出場経験のあるスポーツマン。実家の左官業を手伝いながら貯めた十数万円を手に18歳で上京、ハナ肇の付き人になり、79年にお笑いトリオ「ヒップアップ」を結成。漫才ブームでブレークした一人で、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では日本の芸能界で最初にバンジージャンプに挑戦したり、トラのキスマークを奪うといった企画で体を張った。
日刊ゲンダイの連載企画「役者芸人 貧乏物語」に登場した2009年には、付き人時代をこう振り返っている。
「給料は半月ごとに1万円。3畳一間のアパートの家賃を引くと、1日に使えるお金は500円でした。アパートの流し台を風呂代わりにしたり、事務所に請求する交通費もちょっとずつゴマカしてました」