NHK紅白に寺尾聰出場決定 代表曲「ルビーの指環」が世代を超えて愛される理由
そう当時を知る番組関係者は振り返る。
当時は石原軍団所属の若手でもあり、ドラマ「西部警察」にも出演していた。歌手と俳優との二刀流だったわけだが、「ルビー」発売前、石原プロの名物専務からは「こんなお経みたいな曲、売れるわけないだろう」と酷評されていたのだそうだ。このとき、社長でもあった石原裕次郎から「いいんじゃない。好きにやらせて」と鶴の一声があったらしい。
また寺尾は「胃袋を80%とっちゃった」と発売前のエピソードを語っている。「穿孔(せんこう)性胃潰瘍」を患い、体重も25キロ落ちてしまうほどの大病だったそうで、それで体を張っての演技が満足にできない時期があった。そのとき、つくりためていた曲をレコード会社に「買ってくれませんか」と売り歩いた。そこに「ルビーの指環」はあったそうだ。
構成作家のチャッピー加藤氏はこう言う。
「寺尾さんはもともと『ザ・サベージ』というGSのメンバーで、『いつまでもいつまでも』『この手のひらに愛を』というヒット曲があります。当時所属していた事務所の意向で、ロックというより、カレッジポップスっぽい感じでしたけど、本来はエレキバンドでテレビの『勝ち抜きエレキ合戦』にも出演していた。その後、『ザ・ホワイト・キックス』というバンドに移籍したり、音楽への造詣が深いんです。『ルビー』などのヒット曲も自分で作曲していますからね」