沖縄アクターズスクール創業者マキノ正幸が切り開いた沖縄が“芸能大国”になる日は近い
1983年に那覇に設立されたアクターズ。実力重視の教育で地元から厳選した子をレッスンした。「沖縄はクオーターの子が多くなっていた時代。生まれ持ったリズム感と町中にあふれるビート音楽の環境で自然に体は動いていた」とマキノ氏は手応えを感じていた。なかでも際立った才能を持っていたのが安室奈美恵だった。
友達の付き添いで見学に来て一緒に踊っていた姿を見て授業料なしでレッスンを受けさせた。
マキノ氏は海外音楽に親しみ、ジャズに精通していた。ダンスは未経験でも、動きを見ただけで才能を見抜く眼力があった。
アクターズで育てた安室やSPEED、DA PUMPを東京に送り込んだ。マキノ氏が供給した子を芸能プロが売り込むシステムを確立。沖縄ダンスミュージックは瞬く間に歌謡界を席巻した。音楽市場はにわかに活気づいた。新興勢力を歓迎する一方で、旧ジャニーズにとっては脅威だった?
「DA PUMPはジャニーズと競合することから、テレビ局のジャニーズへの忖度で歌番組出演がかなわない不遇の時代もあった」(テレビ関係者)