元日本テレビアナ関谷亜矢子さんは35歳で寿退社…60歳の現在も「ボチボチ」と活動中
それまでの自信が打ち砕かれた子育て奮闘の思い出
「『世の中、だいたいのことはわかってる!』と思っていたのに、子育てではその自信が打ち砕かれました。とくに子どもが新生児から1歳の頃は、体力的にも精神的にもきつかった。寝る時間がないうえ、朝、顔を洗えないまま子どものお世話をして、気付いたら夜、という毎日で。それでも子どもはかわいくて、もう1人ほしかった。年齢的に簡単ではなく、妊娠や出産について、若い頃からもっと知識があればよかったなと思いました」
40代半ばから50歳手前まで、TOKYO MXの情報番組のMCを担当。4年前からは森永乳業の月刊PR誌「マミークラン」で各界の著名人と対談を行っている。
「気付いたら還暦! 自分ではあまり年齢を感じないので、病院の診察券などで“60”と書かれているのを見るとゲゲッと(笑)。ただ、昔はアナウンサーは若い人が求められていたと思いますが、今は年齢に合った仕事をいただける。これからも話す仕事に加え、チーズプロフェッショナルやワインエキスパートの資格を生かして、それらの業界を応援する活動をしていきたいですね」
週2、3回のホットヨガで体を整え、体調は万全だそうだ。
近年は、タレントや女優に転身する女子アナが目立つ。関谷さんはソッチには興味はなかった?
「全然! 局アナの頃、華やかな衣装を着て歌う仕事をやらせていただいたときは、心の中で『私は何をやってるんだろう』と思っていましたから。でも、やりたい人、やれる人はやったらいいですよ。私もミュージカルは大好きなので、生まれ変わって才能があればミュージカル俳優になりたい、と思うくらいです(笑)」
スポーツ観戦も趣味で、夫と野球や大相撲観戦を楽しんでいるという。
「夫が若く見えるので、『息子さんですか?』と言われたことがあって……」
そりゃひどい。
22歳の長女は、この春、商社に就職。テレビ局は選ばなかったのだ。
「海外で仕事をしたい、得意な英語を生かしたい、と思っているようです」
ともあれ、親としては、少しホッとしただろう。
さて、東京・渋谷生まれ、神奈川・茅ケ崎育ちの関谷さんは国際基督教大を卒業した1988年、日本テレビにアナウンサーとして入社。「独占!!スポーツ情報」や「The・サンデー」などの情報番組で、主にスポーツキャスターとして活躍し、美人アナとして人気を博した。
「ジャイアンツの選手からアプローチはなかったのか? よく聞かれます! 思い起こせば、『あれは女性として誘われていたのかな』ということもあったかな、という程度(笑)。アナウンサーの先輩の指導が厳しく、取材対象者とは一線を画さなくてはいけない、という意識が強かったですね」
テレビ人気の下降や、最近の女子アナの話題についてはどう感じているのか。
「テレビは短い番組でも手間や時間、お金をかけて丁寧に作られていますし、自分の興味の範囲外のことにも気付きを得られるメディア。ネットニュースやYouTubeとは違う価値がある。『上納』ウンヌンについては、私は全然ないと思っています。人と人が個人的に親しくなることはあるでしょう。でも、それはどの業界でも同じではないでしょうか」
(取材・文=中野裕子)