麻田奈美 伝説のりんごヌード写真騒動
撮影したカメラマンの青柳陽一は後日、週刊誌で「初対面の人とは口もきけない、おとなしい子でしたが、僕が“撮りたいのは裸ですよ”と言ったら、母親に促されて上着もパンツもパッと脱いだ」「路上撮影では通行人が来てもお構いなしで脱いだ」「自然体の表情が変わらず、服を着ていても着ていなくても同じ顔」と、当時のエピソードとともに麻田の凄さを語っている。
その後、麻田はオートバイのCM出演や半月にわたるブラジルでの撮影旅行など活動を続けたが、デビュー半年で「もう脱ぎません」とヌード拒否を宣言。「ブラジルで食べ過ぎて太り過ぎちゃった」と言うが、実際のサイズはむしろスリムになっており、本当の理由は謎。映画への出演依頼もすべて拒否。11月に歌手デビューしたが、リリースは「おそい夏」1曲のみで、「お金も欲しくないし、有名にもなりたくないの」とわずか1年で芸能活動を休止した。
もっとも、76年に「ボンヤリしていてふと気が付いたら貯金が底をついていたの。だから仕事を始めることにしたのよ」と、本名の「堀江麻耶子」でモデルの仕事を再開した。77年にはデビュー以来の集大成となる写真集「麻田奈美・青春の記録」も発売した。