衆院議員・吉田晴美氏「わたしはがんサバイバー」「高額療養費制度は苦しむ人の命綱です」
吉田晴美(立憲民主党衆院議員)
医療費が高額になった場合、窓口負担を抑える「高額療養費制度」。多くのがん患者、難病に苦しむ人らが経済的に助かってきたが、ここに無慈悲なメスを入れようとしているのが石破政権だ。8月から負担の上限を引き上げる今年度予算案を出してきて、患者団体が猛反発すると、形だけの修正でゴリ押ししようとしている。立憲民主党は凍結を主張しているが、当たり前の話だ。政治家になったキッカケは「高額療養費制度だった」という衆院議員に話を聞いた。
■母親が51歳で脳梗塞に
──吉田さんは大学卒業後、客室乗務員や外資系の金融機関で働かれていたと聞きました。政治とは無縁の世界だったんですよね?
そうですね。恥ずかしながら投票にも行かない、無党派層っていうか、政治に関心がありませんでした。
──それが政治の道を目指すようになったのは?
母が51歳のときに脳梗塞で倒れたんです。わたしも若くてお金がなくて、どうしようと思いました。高額療養費制度があるのを知らなかったんですね。
──そんなに家計は大変だった?
父は八百屋の2代目で中卒。15歳で家業を継ぎました。7人きょうだいの長兄で家族を支えなければならなかったんです。父の代のときに八百屋はスーパーに衣替えしましたが、経営は苦しく、元日以外は働きづめ。当然、母も一緒に働きながら、わたしたち4人の子どもを育てたうえに、姑の介護もあった。それでも店はうまくいかずに結局、手放しました。借金だけ残って、母はパートを3つも4つも掛け持ちしていました。そうしたら倒れて、一命をとりとめても介護が必要になりました。本当に女の一生って何なんだろうと思いましたね。絶望的になっていたときに高額療養費制度を知って、ピンチの人を支えるのが政治の役割なのだと痛感しました。
──その後、ご自身もがんに?
わたしは甲状腺のがんサバイバーです。34歳のときに甲状腺を全摘しました。当時、子どもは小さくて、発達障がいがあった。この先、この子を誰が助けてくれるのか、と絶望しました。手術後は甲状腺がないので毎日チラーヂンを飲み補っています。わたしのようながんサバイバーや、今、がんと闘っている方、そして難病を患っている方は、高額療養費制度は生きるためのセーフティーネット、命綱です。がんを克服し生き延びられた、この先の人生は人のために尽くそうと決意し、政治を志しました。