賑やかに行われた水の江滝子の「生前葬」
一方、水の江の生前葬は和気あいあいとしたものだった。葬儀委員長を買って出たのは森繁久弥。バックに流れる音楽はショパン、グレゴリオ聖歌、ロシアの宗教歌。読経も浄土宗、曹洞宗、日蓮宗、コーランなどさまざま。そんな中、参列者たちがユニークな弔辞を次々に読み上げていく。
そして出棺。水の江は自ら立ち上がり、歩いて退場した。衣替えした会場に水の江が再び登場すると、今度は78歳の誕生日を祝う復活祭に移り、賑やかなバンド演奏が始まった。最後に水の江が「ありがとうございました」と4回、繰り返し頭を下げ、会はお開きになった。
「こんな盛大で華やかな葬式は初めて」と振り返るのは出席した芸能関係者の一人。
「集まったのは映画界やテレビ界の重鎮ばかり。水の江さんはすでに芸能界を引退されていましたが、その大物ぶりがうかがわれました」
戦前は松竹歌劇団に第1期生として入団。“男装の麗人”として一世を風靡(ふうび)した。53年、NHKでテレビ放送が始まると人気番組「ジェスチャー」の女性組キャプテンや「紅白歌合戦」の紅組司会者を務めた。50年代半ばになると、映画プロデューサーとしても活躍。岡田真澄、浅丘ルリ子、石原裕次郎らを発掘し、スターに押し上げた。