海原千里・万里 人気絶頂期に電撃結婚解散
<1977年4月>
和服に三味線という女性漫才のイメージを一新した姉妹コンビの海原千里・万里。的確なしゃべりとテンポの良いツッコミで一世を風靡、実力派として漫才師仲間からも高い評価を得ていた。
しかし、漫才ブーム到来前の77年4月に突然の結婚解散。この時、万里は24歳、千里は21歳。人気絶頂期の早すぎる引退騒ぎは世間を驚かせた。
デビュー時は姉の万里が高校生、妹の千里はまだ中学生だった。もともと漫才師になるつもりのなかった2人は父親に言われて嫌々ながらの弟子入りで、最初のうちは「OLのつもりでやっていたんです。結婚相手が見つかったらさっさと引退するつもり」と思っていたが、デビュー後すぐにファンレターや弟子入り志願者が押し寄せるなど大ブレーク。その後も活躍を続けていた。
だが、76年末、万里の結婚引退情報が突如、流れる。相手は8歳年上の元漫才師で、当時、西川峰子の専属司会者を務めていた夢大作。デビュー直後に知り合ったという2人は、千里・万里が売れっ子になったことで一時連絡が途絶えたが、千里の勧めで万里が電話連絡したことで、交際がスタート。忙しいスケジュールの合間を縫ってデートを重ねていた。