海原千里・万里 人気絶頂期に電撃結婚解散
76年12月、万里は事務所社長に「いよいよ来年は結婚したいと考えています」と切り出した。固い意志を確かめた社長は翌年4月以降の新番組やCMのスケジュールを断り始めた。周囲からは「何も引退することはない。あまりに惜しい」という声も出たが、万里の決意は変わらなかった。
世間の注目は千里に集まった。万里に「ウチは引退するけれど、あんたはウチに付き合ってやめなくてもええのよ」と言われた千里だが、もともとは歌手志望。「引退と歌手転向の間で迷っている」という報道も流れた。
しかし、解散公演を2カ月後に控えた2月18日、今度は「千里が婚約」という仰天ニュースが飛び込んできた。相手は関西テレビ制作局の上沼真平ディレクター。仕事上の付き合いから急接近して75年12月の初デート以来、月に2回ほどショーを見にいったり、食事をしたりとデートを重ねていた。
所属事務所は「私たちでさえも知らなかったんですよ。千里は一人でもやっていけるタレントだと思っていたんですが」と驚きと落胆のコメント。一方、娘2人を一度に嫁がせる母親は「芸に生きて一人でいるよりはいいお嫁さんになってほしいと思っていました」と心境を語った。