走れなくなって…Jリーガー畑尾大翔語る慢性肺血栓塞栓症
病名は不明だけれど、水を抜いたら咳や息切れが少なくなったので、「とりあえずサッカーできるからいいか」とプレーを続け、その一方でいろいろな病院で検査を受けました。
「慢性肺血栓塞栓症」と確定診断が出たのは、退院から半年後、インカレ(全日本大学サッカー選手権)の決勝が目前に迫ったときでした。確定診断がついてからすぐにワーファリンという血液をサラサラにする薬を飲まなければならなくなりました。
肺血栓塞栓症は、心臓から肺に血液を送る肺動脈に血の塊が詰まる病気で、塊が大きいと突然死の原因にもなるといわれています。薬を飲むと傷からの血が止まりにくくなるので試合はドクターストップとなり、決勝戦はピッチのすぐ横でマネジャー業をしました。悔しさの中で考えていたのは、「どうしたらサッカーが続けられるだろうか」ということばかりでした。
■大学留年を選びカテーテル手術
希望が見えたのは、関東の大学病院から岡山医療センターを紹介されたことです。そこで手術を受け、今があります。岡山医療センターの松原先生という僕の主治医は、血栓塞栓症の第一人者といわれていて、国内外の医師がひっきりなしに勉強に来るほど循環器内科で有名な医師でした。