外国人向け広報誌作りがキッカケで再び編集の道へ
元エリート記者は、妻の助言で日本に渡航し、東京学芸大学大学院の研究生となった。そこで日本語を学んでいるうちに、「人に伝えたい」という本能を抑え切れなくなる。彼は学業の傍ら、東京にある10紙以上の中国語フリーペーパーに投稿し、発信し続けたのだ。
結果的にはコレが功を奏した…
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