<第3回>グループ重鎮の「板挟み」に苦悩した河添元社長
三菱自動車のコーポレートガバナンスは、誰が責任を持って意思決定をしているのか分からないことが多かった。
日産自動車が1999年、仏ルノーの軍門に下り、次は三菱自の番といわれ、案の定、2000年に入り、外資からの資本受け入れ交渉が始まった。当時の社長は、97年の総会屋事件…
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