秀英 上田秀行さん<2>オイルショックでも工場を開けていた

コロナで医療逼迫が起きている大阪府。そんな中でも頑張る印刷紙器メーカーの秀英だが、それは過去の大逆風の経験が生きている。
会長の上田秀行さんはかつての苦労をこう振り返る。
「会社勤めを辞め、独立した時(1972年)はちょうどオイルショック。当然、仕事もなく1カ月の…
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