統帥権干犯こそが戦争指導の邪魔な刃だと東條英機は考えた
東條英機が首相兼陸相、そして新たに参謀総長を兼ねるのは、まさに独裁体制であった。一人の、さして軍内では有能とは言われてなく、凡庸たる軍人にこれだけの権力を与えることで、日本は戦争の行く末を懸けることになったのである。昭和19年2月17日に日本の東南アジア進出の拠点になっていたト…
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