「英霊に申し訳ないではないか」という声であふれた
汪兆銘を引き出す折に、影佐禎昭や今井武夫は、平和回復後の2年以内に「日本軍は支那から撤兵」との約束を伝えていた。このほかにも満州国の承認などといった条件があったにせよ、この撤兵というのは汪兆銘側にとっては最大の条件であった。しかし近衛首相が発表した「日支新関係調整方針」には、こ…
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