マー君に読ませたい…吉井理人が語るメッツ移籍1年目“秘話”
ヒジの痛みはトレーナーからレクチャーしてもらったストレッチとボールに慣れたことで、開幕を迎えるころには消えた。
当時のプロ野球のボールに比べて、現在の統一球は縫い目が高く、よりメジャーの公認球に近づいてはいる。しかし、こればかりは個人差もあるし、実戦の中で対処していくしかない。
硬いマウンドは苦にならなかった。投げるときに体が沈み込む日本人選手が多い中、僕はどちらかといえば突っ立ったまま投げる方。田中も体が沈むタイプではないだけに、硬いマウンドはむしろ合っているかもしれない。
■アパートが借りられない、貧乏留学生と一緒
僕は本拠地がニューヨークにあるメッツを選んだ。ニューヨークは全米で最もシビアな場所だ。少し勝ったくらいでは見向きもされないし、カネに見合う活躍をしなければファンやメディアにたたかれる。その代わり、大舞台で活躍した選手には称賛を惜しまない。
僕は開幕当初、グラウンド外で不自由を感じた。自分名義でアパートは借りられなかったし、クレジットカードも作れない。携帯電話を持つことすらできなかった。銀行の信用がなかったからだ。貧しい留学生たちと同じだった。