<第15回>残業明けは一睡もせず翔平を連れてグラウンドへ

大谷の父・徹(52)はかつて、プロ野球選手になることを夢見て社会人まで白球を追った。しかし、だからといって、幼い大谷に強引に野球を押し付けたわけではない。大谷がリトルで野球を始める前までは、自宅でも野球の話はほとんどしなかった。
ただ、中学の野球部で汗を流す兄・龍太(27)の背中を追って、自分からやりたいと言ってからは違った。自分に教えられることといえば、野球くらい。長男に本格的にやらせてやれなかった分、次男に対しては悔いを残したくないという思いがあった。本人が望んでいる以上、出来る限りのことはしたいと考えた。
■7年強サポート
徹は大谷が小学校2年の秋、水沢リトルに入ると同時に、「自分も勉強させてください」とチームのコーチを買って出た。リトルの練習は土日、祝日の朝9時から夕方5時まで。昼夜2交代制の勤務が夜番のときは朝まで仕事。残業があれば寝ずに、そのまま大谷を車に乗せて河川敷のグラウンドへ。夕方までノックバットを振った。大谷が中学生になり、リトルを卒業すると、一緒に一関シニアへ。
そこでもコーチを務めた。徹はつまり、大谷が花巻東高校に入学するまでの7年間強、ハードな勤務をこなしながら、休日や祝日は大谷をサポートした。一関シニアでは休日に加え、水曜と木曜も夜7時から9時まで練習があった。
■小学生でマスター
徹は水沢リトルで、大谷に投打の基本を教え込んだ。当時を振り返ってこう言う。
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