霜田正浩技術委員長が今語る「ハリル日本」誕生の舞台裏(1)
■「ハリル監督で戦術の引き出しが増えた」
──ハリルホジッチ監督に決まるまで多くの候補者の名前がメディアに上りました。監督選任の経緯を教えて下さい。
「アギーレ前監督の契約が解除された3日後の2月6日に臨時の技術委員会を開き、強化担当者会議を経て8日に欧州に向けて出発しました。21日に帰ってくるまでの実質10日間、その間に候補者8人の情報を収集しました。実際に会った監督もいますし、電話で話した監督もいます。『私は用事があって会えないからマネジャーと話をして欲しい』と言われてマネジャーと会ったこともあります」
──具体的な監督候補の名前を教えて下さい。
「いえ、それは墓場まで持っていきます。それにしてもマスコミ報道は凄まじかったですね。私自身が(監督候補の)参考にさせてもらいました(笑い)。そうそう、候補者リストに載っていない3人から断られたという報道もありましたね」
──前イタリア代表監督プランデッリ氏、元イングランド代表監督ホドル氏、元インテルミラノ監督マッツァーリ氏が日本からのオファーを断ったと報じられました。
「その頃はまだ日本にいましたし、欧州に赴いて監督探しを行うのかどうか、それさえも決まっていませんでした。それどころか、技術委員長を辞するべきと考えてもいたので《3人に断られた》報道は、さすがにいかがなものかと思いました」
──ハリルホジッチ監督の就任に当たって「日本代表強化の継続性」が問われました。
「ザッケローニ、アギーレ両氏のやってきたことは、今でも日本代表に残っています。リセットする必要はありません」
──これまでアジアが相手だとボールをキープできても、世界を相手にすると日本のポゼッション(ボール支配)重視のやり方が通用しません。
「ハリルホジッチ監督就任2戦目のウズベキスタン戦(3月31日)では両方できました。前半はボールをキープして攻撃を仕掛け、後半は意図的に引いて守って相手に攻めさせてカウンターを狙いました。引き出しが増えましたね。アギーレ前監督も同じことを言っていましたが、なかなかやれる状況になかった。スピードを生かしたカウンターもできるし、ボールを回して遅攻もできる。セットプレーでも点を取れる。そういうチームを目指したいと思います」
──後任監督選びに世間の耳目が集まり、霜田技術委員長自身も有名人になった感があります。
「街角で『良い監督を連れてきてくれてありがとう』と言われたことがあります。代表監督選びが国民的関心事になったと実感しました。関心を持っていただくことはうれしいのですが、選手でもない私たちの顔なんて売れない方がいいに決まっています」(つづく)
(取材・構成=六川亨・サッカージャーナリスト)
▽しもだ・まさひろ 1967年2月10日、東京・豊島区生まれ。都立豊島高卒業後、ブラジルに渡ってサントスの下部組織などに在籍。同時期にブラジルでプレーしていた三浦カズと交流。88年に帰国してフジタ(現湘南)、京都紫光クラブ(現京都)でプレー。94年から徳島、京都、FC東京、千葉などでコーチを務めた。10年から日本サッカー協会技術委員。14年9月に技術委員長に就任。