<第4回>体幹トレ先駆者との運命の糸がつながった
しかし、順調に歩を進めたとはいえ、箱根駅伝で優勝するには“何か”が足りなかった。
12年には過去最高位の5位に入ったが、翌13年は8位。14年も5位にとどまり、優勝争いに加わることはかなわなかった。その足りなかった“何か”を原監督は探し続けた。
「5~6年前ですか、体幹トレーニングが話題になり始めた時から書籍などを参考に積極的に取り入れました。しかし、詰まるところ、私は走ることは指導できても、体幹を鍛えることに関して素人に過ぎなかったのです……」
運命の糸がつながった。スポーツ用品メーカーのアディダスの紹介でフィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一氏と出会ったのである。
中野氏は、テニスのクルム伊達公子選手や卓球の福原愛選手ら多くの日本のトップアスリートのフィジカルトレーナーを務めた実績がある。
ワンランク上を目指すために中野氏とタッグを組んだ。14年4月のことである。“餅は餅屋”とはよく言ったもの。日本の体幹トレーニングの先駆者である中野氏は青学大の補強トレーニングを一変させた。