<第1回>約70人のケニア人を連れてきて3人が五輪メダル
「おまえらは走る出稼ぎ労働者。酒と女は厳禁だ!」
そう叱咤激励する小林氏に、忠実に従った1人がワンジルだった。首都ナイロビから300キロ離れた、小林氏が“心の聖地”と語る海抜2200メートルの町・ニャフルルで出会っている。
「サバンナを裸足で走っていたね。15歳で5000メートルを14分で走った。まあ、いかに速くとも私は小利口な奴はノーサンキューだけど、ワンジルは純朴な少年でね。『畑を耕すよりも、日本で走れ』というと喜んでた。ワキウリもワイナイナも貧しさに耐え、私に声をかけられるのを待ってたのよ」
こうして宮城県の仙台育英高に留学したワンジルは、全国高校駅伝で3年連続区間賞の快走を見せ、卒業後はトヨタ自動車九州に入社。駅伝で活躍し、ハーフマラソンでは世界新記録を樹立した。
ところが、2年後に北京五輪を控えた頃だ。
「チームは駅伝の練習ばかり。ボクはマラソンの練習をし、北京で金メダルを狙いたいです……」