V長崎・高木琢也監督が自戒「横浜FC時代は未熟者だった」
「横浜FC時代は<素人監督>だった。すべてにおいて未熟者でした」
――06年に横浜FCのコーチに招かれて開幕直後に監督に就任。確かに経験値は低かった。とはいえ随分と手厳しい。
「いえ、本当のことですから。勝つために何が必要なのか、何をやればいいのか、まったく分かっていなかった。今は経験を積み、自分なりの<物差し>が出来た。平常心で2回目のJ1開幕を迎えられました」
――17年シーズン開幕前に経営難が表面化。運営会社幹部の不可解な言動や給与の遅配など非常に厳しい状況にあった。
「不安要素はあった。でも『自分たちのやるべきことに集中しよう』とスタッフ、選手に伝えた」
――J1の舞台で何をアピールしていくのか?
「ストロングポイントである<団結心>を前面に戦っていく。そこを見てほしい。現実的な目標は残留だが、そこに目線を置くと<それ以上>の成果は望めない。アジアチャンピオンズリーグ(ACL)を狙う! くらいの気概を持ち続けたい」