母も“天才” 全国運動会でナショナルチームのエース倒した
「中国の選手は、オリンピックより全国運動会を目標としています。ですから、あの時は本当にうれしかった。私はカットマンで、このスタイルではなかなか勝ち上がれないといわれていました。本当になんであんなに勝てたのか、いまも不思議です(笑い)」
まさかの快進撃がスカウトの目に留まり、ジュニアクラスを飛び越えて卓球界最強の中国ナショナルチーム20人の中のひとりに選ばれることになる。その翌年、全国大会(全日本選手権に相当)のミックスダブルスで優勝、ダブルスでも3位に入り、中国代表として95年の世界選手権に出場。97年の中国大運動会を区切りに、24歳で現役を引退した。
世界ランク最高23位で引退した後は、マレーシアのナショナルコーチとして1年半指導にあたった。
「中国の卓球はレベルが高いので、指導者としてどこの国でも尊敬されるし、歓迎されるんです。中国の多くの選手が、環境面でも恵まれている海外チームの指導を望んでいます」
99年の大阪アジア大会を機にコーチも辞職し、恋人である宇さんの就任先である仙台に移り住むことになる。